南相馬市の復興状況ヒアリング(下) ~小高地域の復興と若者移住の取組み~

2021年4月:但野さん達の夢と小高の希望が詰まった小高ワーカーズベースにて

1 6年前に訪れた時との変化

2015年7月:津波で被害を受けたままの住宅
2015年7月:訪れた際は除染作業中の赤い旗があちこちに。

 2015年7月12日、当時の会派の皆さんと共に南相馬市の現状を視察調査させていただきました。津波被害を受け、原子力災害によって全域が避難対象となった小高地域は未だ震災の爪痕が色濃く残る風景がありました。津波の被害を受けて廃墟のまま原っぱに残る住宅、道中では除染中という赤い旗が目立ちました。

宿泊施設にも事欠く状況の中で、南相馬市役所の関係者の方が関わっている古民家「一番星」というところに宿泊させていただきました。未だ鉄道も復旧せず、小高駅もブルーシートがかかる状況であり、小高駅周辺で食べるところが無いということで、有志で立ち上げたという双葉食堂でお昼をいただきました。

2015年7月:地域の復興に走りまわる但野市議と当時の会派の皆さんと訪れた双葉食堂

 2021年4月13日、小高地域を訪ねました。双葉食堂は本来のラーメン屋さんに戻り、浜通り地域でも5本の指に入るラーメン屋として市外からもお客さんが来るお店として賑わっていました。小高駅も復興しましたが、駅の反対側には原っぱが広がり、駅前の一等地にソーラーパネルが乱立する状況でした。

2015年7月:復旧前の小高駅
復旧した小高駅ですが今は急行が止まらなくなってしまいました。

 小高地域では依然として若い人口が少なく、かつてあった4つの小学校を閉校し、現在は小高小学校に統合されています。立派な人工芝の校庭に5、6人ほどの生徒が先生とサッカーをしていました。この校庭が多くのこども達で賑わう日が来て欲しいと思いました。

こども達は地域の未来。学校は地域の希望。
学校の一角に今もある線量計

2 若者たちが集う地域へ

 前回も案内していただいた南相馬市市議でもあった但野氏と待ち合わせ、小高ワーカーズベースを訪問しました。但野氏は2期で市議を引退し、現在はこの小高ワーカーズベースをはじめ、小高に若者を呼び寄せるための仕掛けをし続けています。小高地域の人口は震災前13,000人→震災後0人→現在3,000人となっています。人を呼び寄せるためには仕事と住まいが重要であるということで、この小高ワーカーズベースがコワーキングスペースやアクセサリーの工場(こうば)、そしてちょっとしたシェアハウスという役割を持っています。
株式会社 小高ワーカーズベース

株式会社小高ワーカーズベース。民間の資金を集めて開設。

東南アジアで世界を相手にしてきたICT技術を持つ方の職場や全国各地をまわって修行を積んできたお酒の専門家が開いたばかりのお店を拝見しました。いずれも私と同年代や私より若い皆さんで小高の外から来た人たちです。口々に小高は昔から住んでいる人との距離感が近すぎず遠すぎず、過ごしやすいと言っていました。ご案内いただいた但野氏も生まれも育ちも南相馬市ですが、小高地域外から引っ越してきています。

小規模のお酒の醸造所とレストランを兼ねたブリューパブ

小高地域に元々住んでいて帰還した人たちもかつては市内外の他の地域で肩身の狭い想いをしたことかと思います。その事がよそから来る人との適切な距離感につながっており、それがまた若者たちを引き付けているのかもしれません。

3 帰路に見る双相地域

相馬市、南相馬市をはじめとした相馬地域と双葉地域をあわせた双相地域

 南相馬市を後にして、沿岸部を一般道でいわき市方面へ車で南下しました。福島水素エネルギー研究フィールド(浪江町)など、新たな産業をつくる試みが見られ、沿岸部の堤防、道の駅なみえ、道路、鉄道駅の真新しい姿と復旧は目覚ましいものがあります。

太陽光から水素をつくる福島水素エネルギー研究フィールド
真新しい堤防や道路
道の駅なみえ

一方で大通りから一つ隔てた道に入ると、空き家のまま朽ち果てようとしている住居や店舗があることも現実としてあります。

人影の無い住まいや店舗

 そして廃炉作業や処理水の課題を抱える福島第一原子力発電所に近付くにつれて、帰還困難区域という看板や大通りから横道に入る道路の通行止めも目立ってきます。震災から10年が経っても、未だこの現状を抱え、故郷を失った方々がいることを私たちは忘れてはならないと感じました。

未だ設けられている帰還困難区域

4 所感

台風19号の被災地支援に共に関わった藤田みき富里市議と同行

 総務省消防庁の同期であり共に消防防災行政に携わった常木孝浩さんが南相馬市副市長に出向して1年。5年前からの旧知である但野謙介さんが市議を引退して社会起業家に専念してから2年。東日本大震災が起きてから10年。節目の年と思い、緊急事態宣言の解除期間を待って、現地のヒアリングと旧知の皆さんへの励ましに向かったつもりでした。

 しかし畏友の2人をはじめ現地の皆さんは思った以上に前向きに力強く将来に向かって歩んでいました。かつての震災での被害や復興の影というものが見え隠れする場面もありましたが、一度故郷を離れざるを得ず、まちが消滅してしまうかもしれないという究極の事態に接した中での底力を見た気がします。

 かつての水俣病とも同様に補償の差による地域社会の分断や差別や風評被害という問題が南相馬にもありました。日本社会が繰り返す業です。目にはっきりと見えない災害である原子力災害での負の教訓が今度は新型コロナウイルスでも浮き彫りになっています。

 南相馬市は人口減少が震災によって加速する課題先進地域です。一方でだからこそ世界から日本全国から人や資金や技術が集まってくる時代の先端にある土地でもありました。何とか故郷を復興しよう、この地域でイノベーションを起こそうと額に汗する人達に比べて、自らの日々の言動は充分なものなのか、あたらため自分を省みる機会にもなりました。励ますつもりがむしろこちらが励まされた気がします。今後も福島県、南相馬市とのご縁を大切に継続的に関わっていきたいと思います。

復活した小高の双葉食堂。また伺いたいです。
素朴な味の魅力は市外からも人を呼び寄せています

国史跡、浦尻貝塚より津波で流され復旧途上の沿岸部と海を眺めた時、傍らの地元の方がつぶやきました。
「ここは昔も人が栄えていた。でも何百年に1度、大津波で被害を受けた。それでも何度も人間は努力し、地域を復活させてきた。歴史を思えば、きっとまた復活していく。」

小高の浦尻貝塚より海をのぞむ

明けない夜は無く、人間の可能性は無限です。
災害にあっても感染症に直面しても、顔を上げ前を向き、人間を信じて、力を合わせて乗り越えていくことが大切だと強く感じます。

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この記事を書いた人

つまがり俊明

1977年6月生れ / 船橋市出身 三咲小→御滝中→鎌ヶ谷高校→明大→ベンチャー企業→総務省→神奈川県庁→松下政経塾→船橋市議会議員

~多様性を力に変えていく社会へ~ モットーは「着眼大局着手小局」