11月に行った輪島市での被災地ボランティアについてお伝えする後編です。多くの皆様にボランティアや観光で石川県に足をお運びいただけたらと願っております。
私が泥かきをした現場はボランティセンターから車で5分ほどのところ、氾濫した川のほとりにある輪島漆器の梱包工場でした。トイレや水道は工場内のものを使わせていただき、お昼は金沢近くで買ってきた菓子パンをほおばりました。現地ではコンビニやスーパーも徐々に再開しており、飲料や食料の調達にはさほど困らない様子でした。ですが、聞くところによるともっと過酷な現場もあるし、やって欲しいけれど危険なのでボランティアさんにはお願いできないところもあると聞きました。川沿いも緊急の土のうで整えているところも多く、流木なども川岸にそのままの状況です。雪が降る厳しい冬になるとまた作業が滞ってしまうという声が印象的でした。
ボランティアのニーズとシーズの総合調整を行うのは現地の社会福祉協議会の方々でしたが、手慣れた様子でスムーズな運営でしたが、「私たちは役所ではなく民間です」「私たちの自宅や自家用車も水害にあったが」といった言葉の裏側に、やはり心無い言葉をかけられたり、自身も被災者だけれども自分の事は後回しにせざるを得ない状況を感じます。
今回船橋市からも45名の職員が応援に入り、医療・保健的な支援、避難所の運営支援、家屋の被災状況の調査などの支援に携わりました。またDWATやDMATのように医療や福祉職の災害派遣チームの必要性は認識されてきましたが、ボランティアセンターの運営などについても今後地域の社会福祉協議会に任せるのではなく、より専門的なチームが入る体制が求められていると思います。現在、防災庁の創設も検討されているようです、その際には霞ヶ関の事務屋さんを増やすのではなく、現場に入って動けるプロフェッショナルの育成を是非お願いしたいです。